ものすごく暑い日が4日続いた。
 誰もが体力切れといったように扇風機の真下で動かなくなっていた。
 勿論、俺も。


 転校生


 もうすぐ夏休みになろうとしている教室の雰囲気は、どこかだれているようだったけど、最近続いている猛暑の所為で活気はなかった。これだけ暑かったらしょうがないだろう。机に突っ伏して寝ている人もいた。
 気象予報士も「しばらくは雨がふりませんねー」なんて絶望的なことを言っていた。
 彼を責めるのは間違いだろうけど、それでもこんなに真夏日が続くとイライラの矛先は自然と彼のほうを向いてしまうだろう。
 あー、アイス食べたい。








 次の日は雨だった。
 しかも梅雨のように湿気を運んでこない涼しい一日だった。天気予報番組には苦情がいっているかもしれないな、とは思ったが、久しぶりの涼しさに元気が出てきた。自転車で来た所為でYシャツはずぶ濡れになってしまったけれど、そんなことはあまり気にならなかった。
 久しぶりの雨は、別のものも運んできた。

 転校生が来た。
 と言っても、厳密には「しばらくの間この辺りに住むから、短期間であるけれどもこの学校に出席をしておく」という事だった。ものすごく説明が曖昧な感じだった。ただあまり気にはならなかった。この学校でも転校生を見られるのは一部の人だけになるかもしれない、ということにばかり目を向けていたからだろう。少し自分らだけのトクベツという感じで、クラスは盛り上がっていた。
 担任の後から、季節はずれの転校生は教室に入ってきた。
 皆が息をのむ。
 転校生は女子だったので、我らが男子共は残念そうでもあったが、静かな雰囲気の彼女を遠巻きに見ている者が多かった。それはそれで満更でもなさそうだ。俺は、あまり関心がなかったけれど。
 別に興味が無いわけでもないが、単純に俺のコノミではないという事。

「はじめまして。戸田霖です。短い間だと思いますが、よろしくお願いします」

 透った声でさらに静かになったようだ。周りを見てみると顔が紅くなってる野郎までいた。しょっぱなからこれかよ。
 トダさん、ね。
 席は俺の隣・・・では無かったけど、後ろの席だった。








 ・・・雨2日目。
 相変わらず空はどんよりとしていて、この間までの青空はどこかへ飛んでいってしまったようだ。
 周りも少し元気になってきたようだ。空気が涼しくなったってのもあるんだろうけど、昨日来た転校生が彼らの元気付けに一役買ってくれたようだ。ありがたいのかなんと言うか。

 賑やかな教室から少し離れようと、4階から屋上への階段へ来た。
 教室より涼しい場所なので、あまり人がいなかった。普段からここはあまり使われていないけど。半袖だと少し肌寒い。
 カコリ、と弁当箱を開けて食べ始める。今日もご飯がおいしい。
 昨日からいる転校生は、あっという間にクラスの中心に溶け込んで楽しそうにやっている。女子は転校以前の土地の話を聞いて、男子は積極的にアプローチに出る勇敢なやつがいれば、遠巻きに見て盛り上がっているやつもいた。空気が華やかになったと言っても過言ではない。すごい才能だな、と素直に思った。
 む、足音だ。誰が来たんだ?

「こんにちは。ここ、使ってもいいですか?」

 待て待て待て。まさか・・・。
 このの展開に頭が追いつかない。

「へ・・・・・・ああ、どうぞ」
「ありがとう」

 少し微笑んで、転校生――戸田霖――は階段のひとつ下の段に腰掛けた。
 笑った顔が見た目より幼く見えて・・・悪い気がしない。黙々と弁当に集中するように心がける。戸田も会話をするでもなくただ弁当を食べていた。
 静かな空間に、何の会話もしない高校生2人。少し悲しい気がする。

「戸田・・・さんは教室で食べないんだ」
「うん。ちょっと賑やかで落ち着かなかったから」
「へぇ。珍しいね」・・・女子ってグループになってないと落ち着かないものだと思ってた。
「まぁ、ね」

「こんなに話しかけられると思わなかったからビックリしてるの」
 と、苦笑しながら言われたらどう返事をすればいいだろう。驚かない驚かない・・・。そして、自分が敬語を使ってることにも気がついた。同い年なのに・・・。

「転校生ってそういうもんだろ?」
「だって・・・こんな時期だし、理由も言わないから。遠巻きに見られるかなって思って。みんな良い人達だね」
「そ、か」
「それで驚いちゃってさ。少し落ち着きたかったからここに来たんだ。昨日見つけて静かだなって思ったの」
「いい所だろ。ほとんど人通らないんだ」
「うん!」

 賑やかな雰囲気が好きなんだろうと思っていた彼女は、話してみると意外と・・・というか見た目どおりなんだけど、静かで落ち着いていた。言い方が悪いけど、あまり女子と話してるという感覚はなくって、とても話しやすかった。こういうのもありなのかもしれない。
 転校の理由を聞こうかと思って、何気なく聞いてみたら「ああ・・・うん。それは今度ね」と絶妙にはぐらかされた。ショックではなかったけど少し残念ではある。

「もうチャイムなるね」
 と戸田。気がついたらあと5分しか残ってなかった。弁当箱に目をやるといつの間にか空になっていた。話しながらだとあっという間に過ぎてしまう。
「ごめんな。折角落ち着けると思ったのに」
「全然。とても楽しかったよ」
「それなら良いんだけど。大丈夫か、戸田は次移動だろ?芸術だし」
「そうだった!じゃあ先に行くね」
「おう」
「本当にありがとう!今度また話せたら、理由、話すよ」
「うん。こっちこそ、ありがと」


 パタパタ・・・と足音が聞こえなくなっていった。
 意外とウマが合いそうなやつだったな。
 思ったより好印象の戸田。また話す機会があるといいな、と珍しく素直に思った。









 それから何日も雨が続いて、みんなの元気は段々となくなっていった。流石に何日も外に出れないんだからしょうがないというか・・・。クラスの端っこで、男子が面白半分でてるてる坊主を作って、窓際にぶら下げていた。運動部員だったと思う。外で運動できないのがきついんだろう。
 かわいそうだとは思うが、俺は雨はキライじゃないから苦にはならない。戸田もあまり気にならないようだ。
 傘が手放せなくなって、自転車でなく徒歩通学になった。面倒だけど、仕方ないことだし。



 放課後に担任から頼まれた仕事をやっていた。雨は相変わらずと言った調子で降り続けている。
 早々にみんなは帰路についていて、教室には俺一人しかいなかった。
 カリカリ、とシャープペンの芯が削れる音と、雨音が響く。

「誰かと思ったら。どうも」

 こういうことに耐性はあまりつかないのだろうか。この間のように驚いてしまった。正直、情けないと思った。

「・・・・・・戸田・・・さん、か」
「うん。びっくりさせてごめんね」

 すっと教室の中に入って自分の席に荷物を下ろしている戸田に、頭は追いついていないが目は向けていた。
 偶然ってのはそう何度も起こらないと信じているんだけど、それもここ数日で崩れていってしまいそうな気分。

「もうみんな帰っちゃったよ。どうしたの?」
「・・・担任から、仕事押し付けられてさ。なかなか終わらないんだ」
「そうなんだ。じゃあ手伝うよ」
「・・・・・・。わり。ありがと」
「いえいえ」

 終わりかけていた作業だったから、すぐに終わった。
 戸田は手際がいいのだろう。効率よく仕事をこなすというのがうらやましい。学級委員はこいつがやれば助かるのに。

「ホント助かった。ありがとう」
「いえいえ、大したことはやってないから。気にしないで」
「そういえば戸田・・・さんは、どうしてこんな時間まで学校に?」
「わたしは図書室に。調べ物があって・・・」
「へぇ」
「・・・・・・」
「・・・・・・」

 唐突に訪れた沈黙。気まずい。
 耐えられないと思ったけど、先にそれを破ったのは戸田のほうだった。

「・・・あのね、」
「うん?」

「わたし、明日、転校するんだ」

 その時までずっと忘れていた雨音が、思い出したかのように耳に入り込んでくる。
 あまり驚かなかった。(無感動なやつではないと自分では思っているが)最初に「短い間かもしれませんが」なんて言っていたのを思い出して冷静になれたのかもしれない。でも、声は何も出せなくなっていたし、顔を相当酷いことになってると思う。
 一生懸命、間違いなく伝えようとしているのか、言葉が短く区切られて、彼女の印象を幼く感じさせた。目の前の彼女は、目が硝子で出来ているんじゃないかというくらい奥へ入り込めないような雰囲気で、後々考えてみれば、あれは「今は話を聞いていてくれ」という意思の表れだったのかもしれない。


「わたしも、昨日聞いたんだ。本当は、夏休みが来るまで、ここにいたかったんだけど、もう時間だって。夏休みまで3日もないんだよ・・・?なのに・・・・・・待てないんだって」
「・・・」
「でもさ、しょうがないんだよね、きっと。わたしも『短い間ですが』って挨拶、したんだもんね。
 だから、これでお別れ。短い間でしたが、ありがとうございました」
「・・・どうしても、待てないもんなのか」
「そうだって」
「・・・明日は学校に来るのか?」
「来ない、よ。朝一で出発だから。・・・さっきも、本当は図書室じゃなくって、職員室に行ってたの。みんなには挨拶できないけど、充分、だよ」
「そうか・・・・・・。気をつけてな」
「うん。大丈夫、何回もやってることだもん」

 大丈夫大丈夫、と笑ってみせていたけど、戸田は無理してるような気がした。
 でも、何て言えばいいのか分からなくて、また黙り込んだ。


「・・・・・・、そうだ。明日から、また晴れるよ」
「なんでだよ。こんなに降ってるんだぜ」
「わたし、雨女だもん。 わたしが帰れば晴れるんだ」
「そんな気がする、かも」
「でしょ?」

「だから、大丈夫だよ。うん」
「何がだよ」
「なんでもない!」


 久しぶりに心から笑った。
 戸田は曇り空を背に背負っていたけど、意外と似合っているように思った。本当に雨女なんだな、と思ったらまた笑えてきた。








「じゃあ、ここで。本当にありがとね」
「いや、こっちこそ。楽しかった」

 ばいばい。








 霖が言ったとおり、次の日からまた晴れになった。
 クラスからだらけた声が聞こえるようになった。夏休みまであと2日だ。

 数日前に来たばかりの転校生が、あっという間に去っていってしまったことにクラスは少なからず驚いていたけど、それも少しずつ片隅に追いやられるように、話題に上がらなくなった。

 今はどこで生活してるんだろう。
 彼女が行った所は、きっと、雨なんだろうな。




 教室の隅っこにぶらさがったままのてるてる坊主が、真っ青な空を見ていた。








070716 雨女の転校生と、雨が好きな学生
(梅雨明けはもうすぐやってきそうですね)