夏の終わる、あの少し寂しくなるような空気にさらされて、泣きそうになった。
終夏
あの暑かった夏が終わり、やることが何もなくなった。
相変わらず暑い日があるときもあったけれど、それはもうあの夏のような暑さではなく、夏が忘れてった暑さの残りのように感じた。
それだけ、何かが変わっていたように思う。まわりも、自分の中も。
この夏、自転車にまたがってユウと海へ行った。
と言ってもつい3日前の話だから「この夏」と表現するのは少し変だ。けれど、あの日以上に「夏だ」と思う日は無かった。
この夏の思い出は、これしかない。
今年の夏は散々だった。周囲の環境の変化があって心が安らぐ時間なんてこれっぱっちもなくって、それでいて両親は「こんなに有意義な夏休みははじめてだろ」といったことを言いやがる。心安らぐ時間なんかないよ。何も見えてないんだろ。
前日に「明日、海に行こうぜ」と言う電話がかかって来た。いきなり何を言い出すんだ馬鹿と言い返すこともできた、けど、その日までマトモな夏休みというものを味わってないような気がして、気がついたら「わかった」と返事を返していた。その後「5時に俺んちに集合な」「おお、わかった」と簡単な打ち合わせだけをして、電話は切れた。
本当の夏休みは明日しかないと思った。
「あのさ、この行程はどれくらいになったら到着するんだろ」
「わかんね」
「・・・なあ、立案者がそんな調子でいいのか?ここでのたれ死ぬなんてマジ勘弁」
「そうなんだよなぁ。本当にどうしようか」
自転車を漕ぎ出して1時間半。最初の休憩で交わした会話。幸先がまったくもってよろしくない状態。
本当に、こんなんでこれから大丈夫なんだろうか。
汗を流して自販機の前に座り込んで、さっき買ったばかりなのにあまり冷えてないスポーツドリンクを流し込む。ぬるいのって美味しくないんだな。
隣で同じようにしてるユウは依然として涼しげな様子だ。帽子を団扇代わりにしてる。
「そういえば地図があったんだ」
鞄をあさってたら急にそんなことを言い出す。計画性のない小旅行にも、一応地図は持ってきてたんだ。
でも、最初に見とけばよかったのに。
「早く見とけよ、馬鹿」
「うっさい。・・・・・・・・・、おお、何だもうちょいっぽいぞ。そこを右に行けば着く・・・らしい」
「らしい、ね。まーいいけどさ」
「いいじゃんいいじゃん。少しは計画的になっただろ」
「まーね。しわしわの地図も役に立つもんだな。・・・じゃあ行くか」
「おー」
また自転車を漕ぎ出す。
太陽は真上にあって、これでもかってくらい僕らを照りつける。帽子をかぶってきて良かった。
明日は日焼けで動けないかも、なんて考えて、無意味なことだと思った。ひとりでに笑いが浮かぶ。(今日を楽しむためにこうやって来てるんだぞ、それを忘れるな)。
「あのさー」
と、気の抜けた声が前から流れてくる。
「なんだー」
「暑いねー」
「わかってるからそれ以上言うな」
「はーい」
「・・・聞こえてるから伸ばさなくていいんだけど。余計に暑苦しい」
「わかってるって。全く、サービス精神を養ったほうがいいんじゃないの?」
「これは生まれつきだからな。諦めろ」
「あー、溶けるー」
これ以上体感温度を上げるつもりか。カンベンしてくれ。
それから2時間くらい漕いでたけど、やっぱり目的地にはたどり着かない。と言っても「海」としか決まってない目的地を探すのが簡単だとは思えないけれど。休憩を何度かはさんで地図とにらめっこをして議論(口論に近いものがあった)をしてみても、やっぱり海にはなかなかたどり着かない。
太陽は段々と傾いて気温を少しずつだけれど下げていく。
二人とも「引き返そうか」と口にはしなかった。
これが終わったら、明日になってしまったら、またあれがやってくる。そこへわざわざ向かいに行くなんてことはしたくない。それはお互いに考えていたことだ。
でも、本当に・・・これが最後のチャンスかもしれないんだ。
「・・・なぁ」
「ん?」
「あのさ、いつになったら着くんだろう」
「わかんね」
「だよな。聞いた俺が馬鹿だった。・・・でもさ、こうやってただ自転車を走らせてるだけで一日が終わっちゃうなんて悲しいじゃん。そう思わない?」
「まぁ。それは思わなくもないけど」
「だろ?」
「でも、こうやってあてもなくブラブラ漕いでるのもありなんじゃない?」
「んー、そこは微妙なところ。あまり楽しくないってのも俺の意見だったりする」
「辛辣なお言葉ありがとーございます」
「どういたしまして」
「それはともかく。とりあえず、先行ってみるか」
「もしかしたら、があるもんな」
「そう。もしかしたら、着くかもしれないしさ」
俺が思った『もしかしたら』とユウの言った『もしかしたら』は少し違った。
もちろんユウのそれも思ったけれど、もう一つ。
(このまま一日が終わんなければいいのに。)
夕焼けをとっくに通り越して、空は紫色になっていた。
肌寒くなって、上着を羽織ったときに立ち止まったきり、二人とも無言で漕ぎ続けた。
目標の海なんてどこに行ってしまったのかわかんないけど黙々と進んでいた。今、どこへ向かおうとしているのかもわからなかった。並走しても顔を見合わせることもなく、前だけを見ていた。
「ユウ、」
「何?あ、お腹すいた?もう結構たったよね」
「いや、違う」
どちらともなくブレーキをかける。
あたりは、とても静かだった。
「・・・あのさ、もう、いいんじゃないか?」
「ん?」
「だから、あー、なんて言えばいいんだろ。もう、ここでゴールってしちゃえばいいんじゃないか?俺ら頑張ったし。もう暗くて先もあまり見えないだろ」
「確かに。でも、もういいの?」
「は?」
「もう、引き返して、家に帰ってもいいの?」
子供に聞かせるように、ゆっくりと話すユウにイライラする。
そんなこと、
「そんなこと・・・言われなくてもわかってる。・・・・・・・・・嫌に決まってんだろ」
嫌に決まってる。
家に帰れば、もうこうやって楽しむことはないだろう。親に言われたとおりにして『理想像』に近づかなければいけないのだから。それが正しいことだとは思わないけれど、それでも、そうするしかない。
「ん。だよな。俺もそうだし」
「お前も?」
「おうよ。あったり前じゃん。こうやっていられるのも今日だけだし!できる限りエンジョイしたいじゃん」
「・・・・・・」
「何?感動した?俺のスピーチに感動してくれたの?」
「ちがうよ、馬鹿。呆れただけだ」
「うわっ、ひでーよお前」
「なんとでも言え」
少しは共感したけどな。絶対に言わないけど。
「じゃあさ、残念だけどここがゴールということで。いっぱい休憩してから帰ろっか」
「・・・そうだな」
もう先には進まない。
ガシャン、と乱暴に自転車を倒して(降りた体勢からそのまま手を離した)、地面に腰を下ろした。
海には行けなかったけれど、上には星が沢山光っていて、もう秋の到来、というように虫も泣き始めていた。本当に静かな夜だった。話をして帰る、つもりだったけど、お互いに星を見てるだけで話は全然しなかった。それぞれの時間の使いかたでそこに暫くいた。会話が無くてもとても有意義な時間だった。
そろそろ帰ろっか、とユウが言った。
おお、といつものように言って立ち上がった。
気のせいかもしれないけど、少しだけ寂しげな声だった。それに気づかないフリをして(出来てたかはわからないけど)自転車にまたがった、つもりだ。
帰りは自然とスピードがゆっくりになる。できるだけ遅くまでこうしていたいんだ。・・・とは言え、前に進まないわけにはいかないから、自然と家へ近づいているのだけれど。
行きとは違う道を通った。どうせ家に帰らなきゃいけないんだ、それなら違う道を通ってみてもかまわないだろうというユウのよくわかんない力説に押されて現在に到る。
視界が行きよりも開けていてとても気持ちいい。
風も少しだけ出ていて・・・・・・あ、
「なぁ。なぁ!!」
「んぁ?なになに?」
「これ、海じゃないか?」
「嘘。・・・・・・・・・。あ、海だ」
風に潮の匂いが含まれている。耳を澄ませば波の音も聞こえるじゃないか。
横を見ると月が昇っていて、その真下にゆらゆらと光る水面があった。
そこにあったんだ。
「行きに道を間違えたんだな」
「みたいだな。・・・あーくそ!俺ら道一本間違えただけだったんだ」
「全く、なんか漫画でありがちな感じだよな」
「なぁ、折角だから降りてみるか?」
「いいよ。見れたから十分だ」
「そか。じゃあ行くか」
「おう」
海の匂いをかぎながら帰り道をゆっくりと走る。
ユウの横顔は、なんだか少し嬉しそうだった。行きに道を見違えてしまったことを残念がっているようでもあったけど、それはそれで良かったのかも知れない。まぁ、道を間違えたのは俺も悪いわけだし。
灯りがほとんどなくて真っ暗で何も無いような所だったけれど、俺にとって充実した夏休みになったと思う。ユウもそう思ってくれてればいいけれど。明日からはまた会うこともないけれど、こうやって一日だけでも海に行くことができた、という思い出があるから問題ないだろう。
次は正月な!と俺から言って、もちろん!!とユウが返した。
段々と灯りが増えてきた。
もう少しで家に着く。
あの後、夜中に帰ってきた俺を家族はものすごく怒った。当然だと思う。
こってり絞られたあと、寝る前に来たメールに『やっぱり怒られた』と書いてあったのを見て、『おれも。こういうのが夏の思い出なんじゃないか』と送った。すぐに返ってきたメールに『夏の思い出、おそろいになった。』と絵文字いっぱいで書いてあって、確かにおそろいだと笑った。
3日たった今、携帯の待受はメールに添付されていた海の写真だ。
070916