まんまるの月の夜だった。
月夜の唄
近くのコンビニへ行こうと誘われてついていった。特に用事もなかったし、夜風にあたりたかった。草野は暇人だもんなー、と言われたのはしゃくだけど、まぁ、否定するところはどこもない。来るもの拒まず去るもの追わずな人生を送ってるよな、俺。
俺の手には袋に入った牛乳パック。
水嶋の手には草(多分ススキだと思う。いつ取ったのかもわからないけど)。
あの草は縁を触ると切れるような気がしたから、危ないぞ、と言った。イヤホンをつけてる水嶋には聞こえてるのかどうかもわからない。
「いたくないの?」
人通りはあまり多くない。夜だし。でも、それをちょっと忘れて大きな声で聞いた。
「へーき」
2歩前を行く奴はこっちも見ずにそう言った。本当に聞こえてたのかな。
読心術を使ったんじゃないかと思うほど丁度いいタイミングで振り返ってこっちを見る。聞こえてたかな。こっちを見て少しだけ楽しそうに笑う顔。鼻歌も歌ってるよ。でも、頬が灯りでぼんやりと光ってて、なんだか消えてしまいそうだなと思った。
ここら辺から草っ原で、街灯があまりない。月がてっぺんにあるから明るいんだけど。
段々と闇が迫ってくるみたいだ。そう呟いたら、もう闇の中じゃん、ってばかにされた。最近、こけにされてんじゃないかなと思った(今更だとさらに笑われた)。
2歩先を行く水嶋は暗いのなんて怖くないんだろうな。すたすたと歩いていってしまう。さっきから持ってる草がゆらゆら揺れていた。
ちょっと影になってるとこを通ろうとしてた時、手の先から消えていってしまいそうな気がして、怖くなった。すぅっと、消えてしまいそうだった。
慌てて手を伸ばす。
その瞬間、こわばる体。「・・・・・・っ」と息を飲む気配。
水嶋は固まってしまったかのように動かない。触られるのが苦手だったんだ。
「大丈夫。こわくないよ」
「こわいよ」
暗いのは平気なくせに、と笑うと、それは別問題だ、と返された。
声はまだ硬い。目もこっちへ向けないで向こうを見たまま。手が少しだけ震えてる。――本当に、怖いんだ。
「離してよ」
「いやだ」
「苦手だってしってるじゃん」
「知ってるからだよ。だから、こうしてるんだよ」
きゅ、と握ると温かさが伝わってくる。でも、びく、っと体が揺れていた。
人に寄りかかること、人と手を繋ぐこと、人が傍にいること。それがみんな苦手なんだ。甘える、ってことじゃない。もっと根元のことがだめなんだ。ひとりで立っていることなんて、出来ない。そのはずなのに、そうしていようとする。寄りかかることを駄目なことだと思っている。それは俺にとって嬉しいことなのに。
少したって、ゆっくりと握り返される。目をぎゅっと瞑って。力も入ってないから本当に少しだけ。それでも俺はうれしいんだ。こうやっていられるのが、嬉しい。
笑っていてほしいんだ。こっちを見て、馬鹿だなって言われてもかまわない、話をして、笑って。笑っていてほしいのに。
なんでそんな顔をさせちゃうんだろう。
繋いだ手の平が結露してる。汗をかいたのかな。
顔を上げると向こうを向いたままの横顔。何かに耐えているような表情に見えた。
・・・・・・。ちがう。汗じゃない。
それはもっと体温のように特別な温かさをもっている。――血、だ。
ぬる、として手のひらが滑る。慌てて手を離して、手をとる。一瞬だけ安心した顔がまたこわばった。そんなことを気にしてる場合ではない。
「なぁ、これ、血だろ?」
「うん。血だね」
「なんでこんなになってんだよ?」
「切れたんだ」
包丁葉っぱでさ、と笑ってる。俺が見たいのはそんな顔じゃないのに。
何も言えないように、ぎゅっと手を握った。2回目だっていうのに相変わらず、ビックリしてる。
さっきまで温かかった水嶋の中を流れていたものは、もう、冷たくなっていた。体温を感じられた血が、今では水のようだ。手も、また冷たくなってる。まだ完全には止まってないから、奥のほうでまた温かい血が流れているのがわかる。さっきよりも、か細い。
月はやらわかいライトのようで。
空気は冷たくてするどい。
ふぅ、と息を吐く音がしたから、そっと顔を見てみた。
やっと慣れたみたい。諦めてくれたのかもしれないけれど、それは考えない。慣れてくれたんだ、多分。
よかった。
手や肩の力は抜けていって、血ではない温かさが戻ってきた。でも、顔はブゼンとした表情と言うか・・・。進歩しただけ喜ぶべきなんだろうけど、うん、なんだか複雑な心境。
向こうは、ちょっと嬉しそうな顔してる。
血は止まったみたいだ。もう温かくはないけれど、水嶋が確かにここにいるってのが実感できる。
「痛くないの?」
「いたいよ」
そんなことを聞くなって言いたそうな顔だ。ちょっとおかしくて噴き出してしまった。さらに眉間にシワがよったから、慌てて笑うのをやめる(さすがにグーでやられるのは嫌だ)。でもやっぱりおかしいからニヤニヤは収まらない。これくらいはいいだろ。
なかなか開いてくれない心。
それでも いいんだ。
俺が頑張って近づいてみせるさ。時間はあるわけだし。その間に、ちょっとでも向こうがこっちへ足を進めてくれたら、その時は走って迎えに行くよ。
暗闇にとけてしまわないように
070928