もそもそと部活着から制服へ着替える背中を見る。相変わらず細いなーと思いながらも背中にうっすらと残った傷跡を見つけた。



 きっとここは夏の最果て



 小さいときから遊び友達だった僕らは、夏休みとなると遊んでいない時間がないってくらい遊び通してた。朝ごはんを食べたら呼び鈴が鳴って、ボールとか虫取り網とか持って外へ駆け出す。あとはいろんなことをした。川まで言ったり森の中に迷い込んだり畑のど真ん中で早く出てきたトンボを追いかけたり。とにかく毎年やってくる夏休みは、毎日が鮮やかな色彩で彩られていた。
 そして、あの怪我をしたのは、確か3年前だったと思う。

 水浸しになったことをひどく怒られたことがあった。あれはその日の1週間くらい前だったと思う。あの時の母さんは夢にまで出てきそうなほど怖かった(水に濡れただけでなく泥まみれだったのが悪かったらしい)。かっちゃんも同じだけ怒られたらしく、それ以来、びしょびしょのまま帰ることをしなくなった。
 水遊びをした日は、近くの神社の木の上に登って乾かしながらぼーっと夕日を見た。そこで話をするのが特に楽しくって、神社へ行くための口実として川遊びをしていたように思う。

 その年の夏が終わる日の事だ。
「夏がおわるね」
 それまでしていた話から(確か、犬のことを熱く語っていた気がする)急に話が変わったことに驚いた僕は、びっくりして木から落ちそうになった。なんとか踏みとどまって「いきなり何言うんだ」と言いながらそっちへ顔を向けた。
「確かに…もう明日から2学期だもんな。そういえば宿題やった?」
「……作文が残ってる」
「あれは難しかった。書き出しちゃえば何とかなるよ」
「うん」
「締めるのが大変だったなー。あ、あとで見る?」
「いや、いいや」
「そか」
 返事が適当なことに少し腹が立って、僕も返事が素っ気なくなる。
「あのさ」
「……なに」
 決意した声は大人っぽくて急に距離が離れたみたい。

「………あ、とり」
 ほら、横に鳥いるよ。とこっちを指差す。それまでの声ではなくて少し興奮して弾んでる。話が変わったことを少し嬉しく思った。
「何?……あ」
 すぐ横に鳥がいた。見たことのないやつで、きれいだった。
珍しいなと見ていたら、鳥がこっちを見てさっと飛んでいった。

「…飛べるかな」
 飛んでいった先を見つめながらかっちゃんが言った。
「飛べるよ」
 僕はそう言ってから、かっちゃんならもしかしたら、あの鳥に追いつけるんじゃないかと思った。いや、もしかしなくても飛べるのかもしれないじゃないか、と。
「じゃあ、飛んでみる」
 と言うのが早かったか行動に移すのが早かったかは覚えていない。けれど、かっちゃんはとにかく、そう言って木の枝から飛び降りた。…飛んだ、と言ったほうがいいかもしれない。
 かっちゃんは、あの時飛んだのだ。
 一瞬ではあったけれど。



「お前」
「んー?」
「その傷、消えないんだな」
 部活が終わって着替えているカズの背中を見て、薄くなったけれど消えていない傷を見つけた。
「ああ、これね。消えないよ」
「…ごめん」
 あの時俺が「飛べるよ」なんて言わなかったら怪我なんてしなかった。


 あのあとは、痛いと言って泣くかっちゃんを背負って家まで送り届けた。おばさんに謝られて(謝るのは、こっちなのに)、家に着いて、気がついたら部屋で布団をかぶって泣いていた。
背負っているときにかっちゃんが言っていたことを何一つ覚えていない。ひたすら、自分自身を責め続けた。
 次の日には、かっちゃんはケロっとしてて俺も少しほっとしたけれど、心の中ではずっと謝りたかった。
 けれど、かっちゃんは決してその話題をしなかった。俺は謝るタイミングを完璧に逃してしまった。そして、俺はそんな大事なことをすっかり忘れてしまっていた。


「あやまんなよ」
 不機嫌そうにカズが言う。
「でも、」
「だから。……あの時は痛かったけどさ、もう大丈夫だから。それに、」
「それに?」
「おれ、飛べたもん」
 だからいーんだって、といって笑う。



 結局、3年前に彼が言おうとしていたことが何だったのかもわからない。けれど、もしかしたら彼は飛んでみたかったのかもしれないなと思った。実行に移さなくても、飛ぼうとは思っていたと思う。 悩んでいたのかもしれない。それを聞いてあげることは出来なかったけれど、「飛べたからいい」と言って笑う彼は強いと思った。



「……ふーん。俺には落っこちたように見えたけどな」
「あーうぜえ!」

 かっちゃんは飛んでたよ。
 俺にも見えたもん。





 title : karma.

071214