ねえ、どこかに行こうよ





 あったかいココアを持って部屋の端っこに座ると、なんだかほっとする。すっぽりと体がはまって、空いてた空間が隙間なく埋まる感じが落ち着くのかもしれない。そこでココアをすすって、部屋をぼーっと眺める。たまにこういう事をするのだ。
「・・・・・・ふう」
 冷たくなっていた体も中からじんわりと温かくなって、眠気が少しずつやってきた。
 眠くなったらベットに直行してすぐに夢の中へ入ってしまえたら最高なのに。

「あれ? またそこにいんの?」

 ノックもせずに部屋へと入ってくるこいつの事は極力考えない。悪く言えば「無視」だ。
 でも、そんなことも気にしないで航は自分で入れた紅茶を片手に「よいしょ・・・と」と、僕のベットを背に座った(僕が挟まってるのはベットと本棚の間だ)。猫舌だからゆっくりと口をつけて飲んでいる。
 考えないとか言ったくせに思いっきり見てるじゃん。自分がいやになる。
「・・・あつい」
 航はと言えば、舌を出して必死で冷ましてる。
「猫舌。もうちょいたってから飲めばいいじゃん」
「うるせ。もう飲めると思ったんだよ」
 ほら、と言って見せられた舌は先が赤くなっていた。



「・・・で? 今日はなんかあった?」
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・そか、」
 沈黙は肯定のあかし。なんていつだか言っていたのを思い出す。けれど、あまり言いたくもない事をルームシェア相手に軽々と言えるわけがない。
「まだ何も言ってない」
「まぁまぁ。いーよ言わなくてさ」
 そう言ったきり航は紅茶を冷ますことに集中してしまった。



 今日は散々だった。 と簡単に言ってしまえばそれだけ。だけど、それすらも言えずに黙ってばかりの僕は何なのだろうかと考えてしまったりもする。こういうのは悪循環ってやつなんだろうけど。
 たまに、こういうことがある。
 何日おきとかそういうのじゃないけど、突然やってくる。真っ黒な空がどいてくれなくて、何から何まで涸れてしまいそうになる。だから、そういう時はひとりで、波がしずかに去っていくのを待つしかないんだ。





「ねえ、どこか行こうよ」
 急に破られた沈黙に追いつけずにそっちをぼーっと見る。
 温い と言いながら紅茶を何度か飲んで、僕と向かい合って笑った。
「・・・・・・・・・」
「だからさ、どこかに行こう。これから寒くなるだろうから北はやめたほうがいいよね。お前寒がりだから死んじゃうでしょ? あ、でも希望が北ならそっちでもおれはかまわないけど。・・・でもやっぱり南の方がいいな。暖かくなくても、ここより寒くなければ大丈夫だよね。そんでラーメンとか食べてさ、なんかの雑誌に載ってるような名所めぐりをしてさ。お土産も買って・・・写真も撮りたいな、どっか空がきれいなとこ」
 ひとりで話してるこいつに何て言えばいいんだろうか。
 なんて言えばいいかわからないから、何度も頷く。
「やっぱり空がきれいじゃないといけないよねー。大事なポイントだと思うわけよ。・・・これってさ、少し遅いけど青春、ってやつじゃない? おれってそういう旅行したことないから結構楽しみなんだ。荷造りから楽しくてしょうがないからさ、気がつくと荷物とか凄い量になってて、鞄がパンパンになってるわけ。あ、これ必要かも、とかワクワクしながら考えてたらとりあえずカバンに入れちゃうし・・・・・・。だから小学校の先生に怒られたのか。あ、聞く?おれの武勇伝」
「・・・・・・・・・」
「まぁ聞いてもつまんないよね」

 一息に話してた航も黙ってしまって、沈黙が訪れた。
 なんだか申し訳なくなってしまった。僕のために考えてくれたであろうことに返事一つ返せないだなんて。なんて馬鹿なんだろう。
「時間なんて、これから先にもたくさんあるんだからさ、ムリして考えないほうがいいよ。どっかに行くのだって何回もできるさ」
 足元をずっと見ていたら影がかぶった。驚いて顔を上げると、近くに航の顔。とても真剣な顔をしてる。
「ね? だから、だいじょうぶだよ」
「・・・・・・うん」
「だいじょうぶだよ。お前はすこしだけ考えすぎちゃうだけなんだからさ」
「でも、それが、」
「それがお前なんだって。そういうやつがいるから、おれは助かってたりするんだ」

 嘘だ、と思った。

「嘘じゃないよ」
 僕の心を読んだかのように言った。
「本当に、助けられた。こうやってルームシェアをしてて本当によかったって思ってるんだ。いつも、考えてくれるだろう? ありがとうって何回いったって足りないよ、きっと」
 紅茶を一口飲んで もう冷たいや って笑ってから、
「ありがと」
 と言って、一番眩しいと感じるほどの笑顔をくれた。



 もう温くなっちゃってるよ、と口許へ寄せられた自分のココアを飲んだ。温いというよりも冷たくなってしまっていて、どれだけ飲むのを忘れてたのかと思ったら笑えた。
けれど、笑っていたら目がじんわりと熱くなって、ちょっと涙が出た。
「・・・へいき?」
 航のシャツが当てられてごしごしと少し乱暴にぬぐわれた。慌ててその手をどけると心配そうにこっちを見ていた。
「ん。だいじょうぶ」
 ココアで温かくなったんだよ って言ったら、すごいパワーだね と笑ってくれた。



 少しだけ勇気をくれたココアと航を順に見た。
「あのさ」
「ん?」
「どっか 行こうぜ」
「・・・おう! じゃあ場所から決めないと」

 ほらほら、と差し出された手をとってリビングへと向かった。
 変わらない、いや、変われないかもしれない僕を今までよりも少し好きになれたと思う。

 つないだ手が確かな温かさを持って、いつまでも残っていた。







080204