いつものようにどこを見てるのかわからない。悪く言えばボーっとしてる、少しよく言えば不思議ちゃん。背負ったリュックも少し肩から外れているのが抜けてる感じがしておもしろい(けど言わない)。冗談を言っても、乗ってきてくれるわけもなく「何やってんだ」って目で返されて終わり。そんな普通に見れば<つまんない奴>と懲りずに親睦を深めてるオレってすごくない?って思う。本気で思ってる。だって、そんなやつ周りにはひとりもいないもん。




文字の沈黙




「おっはよー、今日もきれいな青空だねっ」
「…降水確率80%だ」
 …相変わらずそっけない。折角見つけた親友(かれこれ10年は一緒だ。ご近所で幼馴染みでもある)を見つけたから走ってきたのにこれはないだろう。
 毎朝の挨拶はいつだってこんな感じ。返事をしてくれるだけ今日はいいようなもんだ。もし観察日記をつけていたとしたら(間違ってもつけない。面白くないし)今日は記念日だっただろうなと思うほど。
「おはよ、チグサ」
「・・・はよ、ミズガキ」
 今日もいつもと変わらない朝が来た。

「あ」
 下駄箱の前で靴を履き替えようとすると千草の声が聞こえた。履き替えてからそっちを見ると靴を途中まで脱いだところでフリーズしていた。
「何してんの、そんなカッコで」
 少し離れてるそっちへ行くと、千草は慌てて靴を履き替えて下駄箱から何かを鞄に押し込んだ。
 …気になる。気にならないほうがおかしいって。
「なになに? 千草は何を隠したんだよー」
「うっせ。何でもねーよ」
 見るとちょっとだけ顔が赤い。
「よっと、どれどれ…」
「っ!! 何してんだ、返せよ!!」
 簡単に鞄から例のブツを抜き取ると(簡単に取れた)、手元へ持ってくる。

 薄い青色のきれいな手紙。
 間違いない。ラブレターだ。

「お前、どうしたの?」
「………」
「いや、まじで。本当にお前宛? この子間違って入れたんだろ?」
「……いや、俺宛、だった」
 本当に信じられなかった。こんな面白くない奴に好意を寄せる女の子がいるなんて思いもしなかった。なぜオレのところにはこないんだ!オレの方がモテるだろ!
「・・・オレ未だに信じられないんですけど。ってことで読ませて?」
「むり。て言うかなんでお前が先に読むんだよ」
 本格的に封を切ろうとする。本当に少しだけど悔しいと思ったから。
 けれど、千草は思いもよらない速さで奪い取って鞄に押し込んだ。さっきまでほのかに染まっていた頬もいつもどおりの白さに戻っていた。ここまでの流れを呆然と見て「さすが」と呟く。それだけあっという間のことだった。
「ざんねん」
「お前も貰えばいいだろ」
 勝ち誇った顔もしないでそう言われると相当悔しい! 回し蹴りを食らわせてさっさと自分の教室へ向かった。

 だから、そのとき千草がどんな顔をしていたのかなんて、知るはずもなかった。




 放課後に千草の教室に寄ったら、もう彼は帰っているみたいで鞄が無かった。わざわざ追っかけるとか探すとかそういうのは面倒だから、ひとりで帰ることにした。それに、今見つけてもお邪魔かもしれないし。
「その前に図書室でもよってこーかな」
 確か新刊が入ったんだったよな。それを読んでから帰ろうと思い、足を反対方向へ向けて歩き出す。

 まさか千草にラブレターを送る奴がいるなんて思いもしなかった。告白なんかされたら、あいつはどうするのかなー。もしかしたらOKするのかもしれない。…いや、「は?」って言ってそれで終わり、みたいなことになってしまってるかもしれない。どうなんだろ、やっぱ探しとけばよかったかな。面白そうだし。
「あ、」
 階段の踊り場に落ちていたのは薄い青色のきれいな手紙。目を惹く色が、ぽつんとそこにあった。
「これって…やっぱ、あれだよな」
 独り言もほどほどにしないと怪しまれるだろうが、今はそんな場合じゃない。
 間違いない。あのラブレターだ。
 …けど、なんでここにあるんだろう。と考えてみても、どう考えたってあいつが落としたってことしかありえないじゃないか。こういうのが抜けてるって言われる原因だよな。とりあえず、拾っておいたほうがいいよな。
 その青い手紙をそっとしまいこんで、オレは図書室へ向かった。



 図書室にはほとんど人がいなくて、図書委員も仕事がないからと司書室へいってしまって、とても静かだった。
 目当ての本は残念ながら貸出中で、来週にでもならないと戻ってはこないそうだ。結構楽しみに待ってたのにな。今日はちょっとついてない気がするよ。
「ま、でも、読むものはここにあるしー」
 こういうのを読むのは相当失礼だと思う。アタリマエだ、人の恋愛模様を覗き込むなんて趣味悪い(ついでに言うとプライバシーなんてあったもんじゃない)。…けど、落としたのは間違いなく千草で、その千草とは親友なわけだし。そのくらいは大丈夫でしょ! なんて思った。物好きなのはわかってるけどさ、それくらいはいいだろ。落とすのが悪いんだ。
 封筒を破いてしまわないようにゆっくり丁寧に開いて、2枚つづりの便箋を取り出した。



 簡単に言ってしまえば、そこにはとてもとてもきれいな字で、好きです、と書いてあった。ラブレターなんだから当たり前だけど。でも、付き合ってほしいとかそういうわけではないと言うこと、読んでくれれば十分だということ、けれどもし考えてくれるなら放課後に来てほしいということが書いてある。

 なんかムジュンしてるよなー。だって『付き合ってほしいわけじゃない』のに『もし考えてくれるなら来てほしい』だなんてさ。ジョシって不思議。そう思いながらも読むのをやめることはなかった。思いを一方的に伝えられるのは、渡された側からすれば、悪い言い方をすると、重たい。オレはそう思うし、誰でもそう思うかもしれない。
 けれど、一生懸命自分の言葉を伝えようとしているのが読み手にも十分すぎるほど伝わってきた。文の構成、とかそんなことは抜きにして直接響くのだ。

 初めて、沈黙がこんなにも痛いということがわかった。

 最後まで読み終わって、オレはなんだか苦しくなった。痛くも感じた。
 廊下を駆けている生徒の声だけが響いていた。でも、とても遠くで聞こえる。自分の周りでは音が何もなくって、中途半端に置いておいた本がバタン、と音を立てた。

 やっぱりオレなんかが読んじゃまずかった。今更後悔しても遅いけど。
「あいつは、コレ読んでどう思ったのかな」
 とにかく、この手紙は返さないといけないと思った。





 これだけ気持ちのこもったものを読んだ後に小説なんか頭に入るはずもなく、読み終わった後にさっさと図書室をあとにした。
 自分が貰ったわけでもないのに何故だかそわそわしてしまって、どうやって昇降口から出たのかも覚えていない。とにかく急ぎ足で帰った。

 帰り道で、オレは千草に腹を立てた。
 あんなにもまっすぐに一生懸命に書いてくれた手紙を落とすってどういうこと? オレなら絶対にしない。しかもあんな人目につきやすいとこで落とすだなんて。本当にありえない。お前があの子の事をそう思っていないとしても、あの子の事もきちんと考えてやれよ。
 完璧な八つ当たりだ。
 でも、やっぱり千草が悪い。



「よぉ、水垣」
 今もっとも会いたくない人ランキング堂々の1位。こんなトコで会うとは…。タイミングも悪すぎる。
「……、うす」
 なんか居心地が悪くて下を見る。
「珍しいじゃん。お前がこんな時間までいるなんてさ」
「まぁ、な」
 いつまで経っても顔を上げないオレに痺れを切らしたらしい。距離を一気に縮めて覗き込まれた。
「どーしたんだ。風邪でも引いたのか? ありえないけど」
「ちがうって」
 ふーんそうなんだそれならいいけどさ、と顔を背けて含み笑いをしてる。絶対に馬鹿にしてるんだ。嫌なやつだな。
「……ったく。おまえの所為だし。とにかく奢れ」
「八つ当たりじゃん、ガキだな」
 とかそんなことを言いながらも、じゃあいつも行くとこでいいだろ、と歩き出す。
 やさしいけど、ひどいやつだ。そう思った。





「……でさ、いったい何があったんだ?」

 席に落ち着いて、頼んだコーヒーを飲む千草に聞かれる(オレは結構頼んだ。夕飯を食べていっちゃおう。全部奢りだけどね)。危うく忘れてしまいそうだった。「食べるといつもそうだよな」と笑われたから、悔し紛れに鞄から取り出した封筒を置く。
 千草が真剣な顔を覗かせた。けれど、それも一瞬の事でいつもの余裕のある顔に戻った。
「……ああ、それね」
と、特に気にもせずに言う。それをオレは快く思わなかった。
「これ、おまえのだろ。ローカに落ちてた」
「そっか。どこに行ったのかって思ったんだ。サンキュ」
 さっさとその封筒をしまおうとする手を掴んで止めた。
「…お前どうしてそんなことができるんだよ。女の子が一生懸命に書いたんだぞ! それを、」

「俺がどうしようと勝手だろ」

 時が止まったように感じた。今まで聞いたこともないような小さく低く呟かれた言葉が、誰から出ているのか分からなかった。びっくりして動きを止めたオレを尻目にさっさと手紙を鞄にしまいこんで言った。

「俺がもらったものをどうしたってかまわないだろ? …まぁ確かに落としていったのは悪かったと思うけどさ。けれど、それ以外に俺が間違ったことをしてないはずだ。彼女の気持ちを受け取るも受け取らないのも、俺が決めることだ」
「けど、」
「もう、決めたから」
 突き放すように言われて、何も言い返せなかった。それを見て、千草も何も言わなかった。こいつの気持ちを全部理解するなんてムリだし、こいつの考えに共感なんてできやしなかったけれど、こいつがキチンと真っ直ぐに考えた結果なんだろうなということは分かれたと思う。
「…わかったよ」
と、小さく言ってオレは残りの食事を消化することに専念した(言った時、きっとむくれていたと思う)。あいつも特に何も言わずにコーヒーを飲んだ。その後もオレはたいして話もしないで黙々と食べ、千草はオレが食べ終わるのを黙って待っていた。
 この沈黙は別に急かされるようなものではなかったように思えた。
 こういうところを、きっとあの子は好きになってくれたんだろうな。




 会話もしない帰り道はなんだかすこし寂しい。
 堤防を歩くオレらの元に、小学生が声変わりのしてない高い歌声が響く。下を見ると彼らが楽しそうに川辺を走っていた。
 …あんな風に楽しく帰ってたんだよな。
「そうだな、」
 横で歩く千草がなんでもないように言う。…言葉にでてたのか。
「ああやって毎日バカ騒ぎしながら帰ってたんだよな」
「ん、まあな」
「大人になるってこういうことなのかな」
「さあな。わかんないよ、オレらには」
「だよな。そんなこと考えてるんだからまだ俺たちも子供だな」
 何年か前のオレらとそっくりな子供たちが、こうやってオレ達と同じようなことを考えるときがくるのだろうかと、センチメンタルなことを珍しく考えた。すこしずつ増えていく知識を背負い込んで、確実に年をとって大人へと近づいていくことを、実感する日がきっと彼らにもくるんだろうか。

「あのさ」

 足を止めた千草にあわせて、オレも立ち止まる。
「なんだよ」
「ちゃんと、返事してくるから」
「ん」
「オーケーするわけじゃないぞ。今そんな余裕ないしさ。でも、もらっといてそのまま放っておくってのもなんか嫌だし。手紙に書いてるのを見ちゃうと、ちょっと行きづらいけどさ、きちんと返事を返すから」
「……おう」
「ま、水垣のおかげかな」
「オレが言ってよかっただろ?」
「はいはい。大変ありがたかったです」
「うさんくせー」
「うさんくさく言ったんだから当たり前だろ。……ありがと」
「どういたしまして」





 その後の結末は聞かなかった。もう首を突っ込むのも嫌だから。
 でも、きっと千草の事だから丁寧に断ったんだろう。あいつは、そういうところは優しい奴だ。ちょっと前に、すっきりした顔をしてたときがあった。あの顔を見て、ああ言えたんだなと感じた。オレも何も言わなかったし、千草も何も言わない。
 そのことでオレはもう心配することもなく、その件については静かに終わりを迎えた。

 何も変わらないなんてことはこれから先もずっとありえないけれど、しばらくはオレ達はバカみたいに楽しい毎日を送っていくんだろうと思った。







080317