言葉を紡ぐことすら億劫だった。
 君と一緒に帰ることがどれだけ僕にとって大切で貴重なことなのかを、僕には伝えきれない。ありきたりな言葉で 大事だ としか今まで言えたことがない。
 君に言いたいんだ。
 どれだけ僕が一生懸命この距離が途絶えないようにしてるのか。いや、そんな大層なことじゃない。こうやって一緒に歩くことで毎日が幸せに感じているんだ、と。

 季節は夏から秋へと移り、半袖から長袖のYシャツへと制服が変わり、自転車に乗るときにマフラーと手袋をつけるようになった。

 僕に語彙力がないのは分かってる。毎日「きれいだ」と何かを見つけては言う僕を見て、君はきっと呆れているんだろう。目の前に現れた夕日、水溜りに花弁が浮いている様、池にたたずむ白い鳥の美しさ。それらを僕はすべて「きれいだ」と言ってしまうから、君には伝わらないのも分かる。
 けれど、僕にとっては「きれい」なものは「きれい」で、どれもが輝いて見えるんだ。ただ、それをもっと的確に伝えられないだけ。

 僕のこの気持ちがいつか君にも伝わるといいと思う。
 放課後の帰り道で見るもの全てがきれいだ、ということも伝わってくれればいい。

 これからもずっとずっと、こうやって見ていられたらいいのに。

(080111)


 心を震わす君の声がだんだんと聞こえなくなっていった。

 いつも側にいてくれて、いつも一緒に笑ってくれて、いつも一緒に泣いてくれた。

 そんなあなたに救われたことが何度もあった。
 僕はあなたといれて本当によかった。口に出したことは一度もないけど、本当に感謝してるんだ。



 だから、
 だから今度は僕が助けてあげる番だ。
 ゆっくりと目を閉じて、息を吸い込んで。まわりは気にしないで休んでください。



 おやすみ
 また目が覚めた時に会おうね

(080112)


「なぁ、なんか欲しいものとかある?」
「いきなり言われてもな……」
「なんでもいいんだ。かなえたい夢とかでもいいしプレゼントされたいものでもいいよ」
「そうだな…」
 読んでた雑誌を横に置いて、正面から向き合うように座りなおして、少し考えてから彼は言う。

「水の中で息ができるようになりたい」

 真剣な目で言われて、俺は次に言おうとしていた言葉を落としてしまった。
「へ? 水の中で?」
「うん。……と言うかさ、水の中で生きたい」
 冗談でしょ?それ という感じでそっちを見ても、彼の目は真剣そのものだった。
 水の中で生きたい。
 どうして? と聞くのが精一杯だった。

「なんかね、嫌になったんだよ。足が地面に縛り付けられてるのとか、どこにも行けないこととか、…まわりの環境、とかね」
 水の中で静かに生きていたいんだ。誰もそこには来れないだろう?

 そんなことは言わせたくなかった。
 そんな顔をさせたくなかった。

「ねえ」
 そう言った俺の声は震えていたかもしれない。
「なに?」
「それは、きっと俺からはあげられないんだ。俺はそんなことはさせたくない」
「だろうね。分かってたけどさ」
 と言って笑う彼はちょっと悲しそうだった。
「でも、」
「…でも?」
「今度の空いてるときにさ、海に行こうよ。俺も一緒に潜る。少しはすっきりするんじゃないかな」
「そうかも、しれない、ね」

 少しうつむいた彼から伝っていったものは見えなかった。
 けれど、それから顔を上げて笑った彼は、本当に嬉しそうだった。

(080206)


●おばけ

「………。なあ、何見てんの?」
 ゼンはさっきまで食べてたアイスの事を忘れてしまったかのような風で、俺とユウタの中間あたりを見てる。
「…ユウタ。こいつどーしたの? 俺にはさっぱりわかんないんだけど」
「ああ、いつもの事だけど?」
 いつものこと? 俺はこうしてるゼンのことを見たことないんだけど。
 言葉に出してないけどそれを読み取ったらしい。ユウタはゼンのことなんて全く気にしてない様子で話す。

「あいつ、見えるんだよ」

 見えるって何が?え、何のことか全くわかんないのは俺だけ?いや、俺だけなのはわかってるけどさ……本当に何が起こってるの?
「おまえ本っ当に分かってないんだな。平和な奴」
「いやだから…本当に、何? ナニゴト?」
「……おまえって…。まぁいいけどさ。だから<見える>んだって。お前の大っキライなオバ…」
「やめろー!!!最後まで言うな!!!」
 まさか。本当に? 二人して俺をはめようとしてるんだろ。
 ひとりでグルグルと「うー」とか「あー」とか唸ってる俺を見てユウタも流石に呆れてる。
「疑ってるな……。じゃあ、確認しようぜ」
「は?」
「おい!ゼン!!そろそろこっち見ろよ!!」
「……なに?」
「タイチがおまえのこと疑ってるみたいだからさ。教えてやれよ、タイチと俺の間にいるやつ」
 ニヤリ、と最高に人の悪い顔をしてこっちを見る。
 やめてほしいのに、ゼンまでのってしまって、

「あれ?知らなかったっけ? タイチのうしろにさ、いるんだよ」

 こちらも最高な顔をして言いやがった。



 それからのことを語りたくはない。間違いなく俺が恥をかいた。真っ青な顔になった俺を見てあいつらが大爆笑してさらに恥ずかしかった。
 まぁ、それ以後もあいつらとは仲良くしているんだけど……、「そういう」話の時だけは少しキョリを置かせてもらってる。

(080208)


 一瞬で消えてしまうことを怖いと思った。

 小さい頃に見た『太陽が爆発する』ということは、あの頃の僕からしたら相当ショッキングな事だったと思う。ずっとずっと先の僕らが生きているはずのない未来にそれまで普通に見えていた太陽が爆発を起こして地球を溶かしてしまうということを知らずに生きていたら、僕の考え方も少しは変わっていたのかもしれない。今となっては知ることもないけれど。
 その時代に生きる人達は、その爆発の瞬間には何も知らない。8分とちょっとと言う距離があるからだったと思う。その8分の間に何ができるのかは知らないけれど、8分後に急に爆発が起きて、けれどそれも一瞬で地球が焼けるのだからそこにいる人達がそのことに気づくことなく消えてしまうのだろう。
 僕がその時代を生きることはありえないのだから、別に心配するようなことではない。
 けれど、僕はそれを怖いと思ったのだ。

(080302)


 水がどこまでも青い夢だった。

 父親に頼まれて郵便局のポストまで葉書を投函しに隣町まで行った。入るには大きな門を通らなくちゃいけなくって、わたしはなんだか異国の地に来たような感じがして、その町へ行くたびに冒険のように楽しんでいた。そのときも、やっぱり楽しみだった。
 郵便局は丘の上にあって、長い坂を登らなくちゃいけなかった。ちっとも辛くない。楽しい気分のときにそんな坂道なんて不安要素のカケラにもなりはしなかった。

 ポストに無事に葉書を入れて帰ろうとしたら、坂の真ん中まで水が満ちていた。
 近くに海があるわけでもなかったし、川だってなかった。けれど、そこには今まで自分が見たこともないほどの、とてつもない量の水が横たわっていた。まわりの家は、いつの間にか色を失ったかのように曖昧な色彩になり、その代わりに目の前の水が、いやに濃い青色だった。深くて透明で吸い込まれそうな青だった。

 わたしは「かえれない」と思って、慌てて帰り道を探した。
 幸い、その近辺は家が密集していて屋根伝いに行けば門のところまで行けそうだった。
 屋根の上に立ち、まだ上へと続く壁を伝って、門までの道を帰り始めた。とても高いところを歩いているはずなのに、水はわたしのひざのところまでやってきていた。でも、それを怖いとは思わなかった。小さい頃からそうであったかのように、当たり前のものとして感じていた。そんな体験は一度だってしたことなかったのに。水をかきわけて歩くのは、こんなときでも楽しいとおもった。

 どうやって戻ったのか覚えていないけど、門の前まで帰ってこれた。
 あとは門を越えるだけだった。
 けれど、それは水没してしまっていてくぐれないだろうと悟った。

 門は埋もれてしまったけれど、門の上にはそれまた豪華な塀があって、それにも屋根がついていた。そこを乗り越えられれば、外に出られるだろう。
 近くまで大きな木が伸びている。あれを登って乗り越えよう。
 そう決心したのが早いかどうかはわからない。けれど、それを考えたときには体は動いていて、空よりも青い水へと身を投げ出していた。

 木にしがみついて登り始めたときに、意識は途絶えた。

(080305)