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小さい頃にこの町に来たとき、僕はおばの家へ家族で遊びに来ていた。一族が集まっていてとても賑やかな会食だ(僕にはどんちゃん騒ぎに見えた)。大人は楽しそうにしていたけれど、自分の年代の子がひとりもいなかったので暇をしていたら「近くに公園があるから遊んでいらっしゃい」と言われたから、喜んで外へ駆け出した。
けれど、この町のことを知っているわけもなく、公園に着く前に迷子になってしまった。
どこにいるのか分からなかったからひたすら走ると(来た道を引き返す選択肢はなかった)白い息が横に流れていった。本当に引き返すことが不可能になって、息がもたなくなって、崩れるように座り込んだ。
目の前にはオレンジ色の景色が広がっていた。
人家の明かりがぽつぽつと点き、手を置いている地面は名前の知らないきれいな花でいっぱいの、大きな木のある丘だった。どこかから音楽が聞こえる。そこはとてもきれいだった。
今まで見たことのない景色に見とれていると、目の前に黒い影がぬっと出てきた。
「おまえ、だれ?」
最初は気づかなかったが、そこには先客がいた。灰色の毛糸の帽子をかぶっていて、それまで僕の知らない歌を歌っていた。彼はひとりだった。
「え? ぼくは『みずき』」
「みずき、か! おれは『りょうた』」
「りょうた。…うん、覚えた」
「みずきは面白いやつだな!! 名前、忘れるなよ!」
こうして僕らは出会った。
涼太はこの近くに住んでいるらしい。たまたま暇だからこの丘に来てたのだと言う。
「みずきはどうしてここに来たんだ?」
「おばちゃん家に遊びにきてたんだけど、公園に行こうとおもって……道まちがえちゃったんだ」
「そっか。そのばーさんちならオレ知ってる!後で送ってってあげる」
「ありがとう!」
それからしばらくの間色んなことを話した。あの年だったのだから、会話の内容なんて次から次へと変わっていって、今では他に思い出せるところはない。それでも、初めて会ったやつなのに、とてもとても面白かった。こんなに話が合うやつとは会ったことがなかった。
オレンジだった空も段々と紫色が強くなった。近くには街灯がなかったから周りはすでに薄暗かった。話に夢中になっていて気がつかなかった。
「そろそろ帰んないとな。おこられちゃうぜ」
涼太が時計も持っていないのに時間に正確なやつだという印象はまだ覚えている。
「……もうそんな時間なんだ」
「いや、まだ夕飯にもならないよ。ここら辺は暗くなるのがはやいんだ」
「へぇ。よくわかるね」
「まーな。オレはすごいんだ!!」
胸をそらしていきなり叫ぶのを見てちょっと悔しくなった。
「…腹時計じゃないの」
丘の下に向かって叫んでいる涼太には聞こえなかった。
あの丘からおばの家は思っていたよりも近かった。あれだけ駆けずり回ったような気がしたのに、同じようなところをグルグルしてただけみたいだ。少しだけショックだった。
家までは涼太とのんびり歩いた。見慣れないものを指差しては何かと尋ね、涼太はそれにひとつひとつ答えてくれた。そのとき互いに年齢は聞いていなかったけど、なんとなく、彼は年上なんだろうなと思った。僕とは違ってなんでも知っていたから。
のんびりと歩いていたのに、30分も経たないうちに帰ってこれた。帰りは早かったけれど丘でたくさん話をしていたから、まわりはすっかり日が落ちて真っ暗だった。
「ありがと」
「どういたしまして。途中でソーナンしなくてよかったな」
「うるさい」
玄関の明かりがぼんやりと涼太の横顔を照らしていた。白い息が僕らの間を通って、お互いの顔を見えなくさせた。
「たのしかったな」
その時なんとなくだけど、さよならをしたくないと思った。でも何を話していいかわからなくて黙り込んでいたら涼太がぽつりと言った。
「うん。たのしかった」
「……みずきはいつ帰るんだ?」
「あした」
「じゃあもう会えないんだ」
「…うん」
それまでは早く帰りたいと思っていたのに、帰りたくないなと思った。
けれどそれは叶わないことで、幼い僕には両親の考えが絶対だった。明日帰ると言われれば、明日帰ることに変わりはないのだ。
ぱっと、いい考えが浮かんだ。
「じゃあさ! また会いにくるよ!」
「本当に!? ぜったいだぞ!」
「うん!!」
僕にしてはなかなかいい考えだったと思う。涼太も嬉しそうで、早速計画を練っていた。その姿を見てると、僕まで嬉しくなってくる。
「じゃあいつにしようか?」
「すぐだとあんまり楽しみな感じがしないなー」
「うーん、確かに。僕ひとりでこれないし…」
「だよなぁ。………じゃあさ、5年後はどうだ!」
「それならきっと大丈夫だよ!」
「じゃあ決まりな!! ぜったいに忘れるなよ!」
「りょうたもな!!」
「瑞樹っ!!」
ガシャンと大きな音がして、気がついたら目の前をふさがれていた。「どこに行ってたの!今探しにいこうとしたのよ!!」とかなり高いキーでまくし立てられる。ぎゅうっと抱きしめられていて苦しい。
――おかあさんだ。
「……ごめんなさい」
温かいからだに抱きしめられて急に安心感がやってきた。それまで楽しかったお陰ですっかり忘れていたけれど。鼻の奥がツンとして泣きそうになる。けれど駄目だよ、おかあさん。涼太が見えないんだ。
身を捩って離れようとすると意外にもあっさりと離してくれた。それに少しだけ驚きながらも開けた視界で涼太を探す。
そこには誰もいなかった。
あたりを見回しても人影はひとつも見つからなかった。
僕は結局、涼太にお礼もお別れもひとつとして言えなかった。
「どうしたの?」
やさしく聞いてくるおかあさんの声も遠くで言ってるようだ。僕には涼太が何も言わず行ってしまったこと、僕が何も言えなかったことがショックでぼうっとしていた。さっきまで泣きそうになったことも嘘みたいだ。
おかあさんは不思議そうに僕を見ている。「誰かさがしてるの?」と聞く声も不思議そうで、まるで彼の事が見えなかったみたいな言い方だ。
「……ううん。なんでもない」
涼太のことは言わなくていいと思った。何故だかはわからない。
それは、僕がはじめて両親に隠した秘密だった。
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